PROFILE
hissywebを開設した経緯
 
私はソフトハウスに勤務しながら、全くのパソコン音痴です。仕事上での表計算やワープロを使う程度で、現在のようなIT時代には取り残される人種だと自認しております。
 
 その私がホームページ(以下HP)をと思いたったのは鬼頭君(クロちゃん)の存在でした。彼は、私とは小学校からの友人でしたが、彼は大阪、私は名古屋と離ればなれで(その間にお互いに転勤はしていますが)、逢う機会は少なくなりました。
 高校時代のホッケー部のOB会での集まりの時に、「おい、鬼頭が入院したらしいぞ」「病気は何だ?」「誰か見舞にでも行って来いよ」程度で終わってました。彼が平成6年の春に「ギランバレー症候群(詳細はクロちゃんのHPを)」なんて難病に罹っていて、闘病生活を強いられていた事を、私を含めた名古屋の友人たちは知らなかった(いや知ろうとしなかったというべき)状態でした。
 
 平成11年の暮れに、彼から一通の喪中葉書が届き、欄外にこんな文章が… 「元気にリハビリを続けてます。リハビリの一環としてインターネット始めました。メール下さい」 と。この葉書一枚の衝撃というか慚愧というべきか、自分の怠慢・怠惰な生活を恥入りました。すぐ彼にメールを送信し、それ以降暫くはメール交換しておりましたが、思い切って彼の症状を詳しく教えて欲しいと伝えました。ちょうどその頃、彼はHPのアップ時期でしたので、彼のHP上にて「ギランバレー症候群」の症状と彼の生活を詳しく知りました。あんな難病と闘いながら、学生時代のままの明るく優しい性格そのままの生活振りを伺わせてくれました。
 
 そして平成12年の春、大阪は長居球技場にてホッケーのオリンピック予選が開催され、我々名古屋のホッケー部OBに加え、姫路と四国は香川にいる友人に声を掛け、ホッケーの応援がてら鬼頭を見舞に行こう!と決めました。
 彼に逢って懐かしかった!何年振りか(彼が病気になる前のホッケーOB会の時の写真はあるが)懐かしいというよりか、嬉しい・元気だ・なんだちっとも変わってないぞ!の印象だった。だって、車椅子生活の人(この場合友人)と接する機会なんて無い我々でしたので。
 試合が終わった後、彼が事前に予約しておいてくれたお店で食事会をしました。30年振りに逢うのもいて、名古屋弁で学校時代の思い出に時間を忘れ、再会を約して。
 
 その後、私はあまり外の風景を見れない彼に写真を添付してメールを送りました。彼は喜んでくれました。そして「HPに君の写真展示コーナーをアップしてもいいか?」という彼からの問いかけに、私は二つ返事で「OK!」…というより「お願いします…」と。現在も適時にリニューアルして頂いております。
 
 そして、その後の私はクロちゃんのネット仲間に入る事が出来、新しい友人(顔や声は聞けなくとも心は繋がるものです。それがネットであり輪ですもの。)のBBSにお邪魔し、俳句を楽しんだり議論したり、障害を持たれている人たちの暖かさに触れ、健常者の私の方が卑屈になってるんじゃないかと励まされ、今日に至りました。
 クロちゃんのHPのような、主旨・目的も無いHPですが、きょう皆さんに私のつたないHPを披露する事が出来ました。これも、クロちゃんや、皆さんの応援・支えがあったがゆえに出来上がったHPです。ですから、今後ともお叱りや励ましを頂きたく、よろしくお願い申し上げます。
 
 最後に、このHPそのものを作成し、今後の保守を約束、さらにBGMを作曲してくれました、私の会社の社員である川窪 厚徳君に深く感謝を表します。
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