HOBBY
 
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hobby:pictures 絵画編
 
その1 ▲page top
 私の趣味が写真撮影である事は、もう皆さんご承知の事ですが経歴としては、まだ浅いものです。最近は、マクロレンズ(接写レンズ)で花芯や雪の結晶なんかも撮っています。
 撮ってみて、あっと驚くような作品も時々あります。写真を始めるきっかけ…というより、元々は油絵を習っていて、写真に変更したのですが、油絵を習い始めた経緯を披露します。
 当社(日物名古屋)は、昔は「中日ビル」に入居していました。中日ビルと言えば「中日文化センター」の本拠であり、その中で油絵教室がありました。
 ある日、パンフレットを見ていたら、どうも聞いたような名前の先生があったので覗きに行ったら、やはり高校時代の美術の先生が講師をされていて、先生の奥様も助手としておられた。習う気はあるのか…と聞かれ、つい習いたいです。と言ってしまったのがキッカケです。
 絵画教室は超人気教室で、入会窓口で手続きしたら半年後でも無理な状態でしたが、奥様の裏からの計らいで即日入会をしました(初めての不正入学でした)初日から、見学がてら教室に入ったら、40人ぐらいの生徒の中央には、ななんと…裸体の女性が(もちろんスッポンポン)いるではないか! 胸はドキドキと高鳴り、まともの見れなかったのでした。
 この続編を是非書いて欲しい…という方が一人でも、おりましたら書きますのでリクエストして下さい。
 
その2 ▲page top
入会した日は、用具を持参してませんでしたので、ただ茫然と皆が描いているのを見ているだけでした。絵画教室のカリキュラムは(週1回、2時間)。
 
■クロッキー
モデル(裸体)が5分〜10分ぐらいの1ポーズを一気に線描する(2時間の講習時間で10枚ぐらい書き上げる)線でしっかりと、対象物(モデル)を捉える事を目的とする(基礎)
 
■デッサン
モデルないしは静物を4時間(2週間)でしっかり描き、陰影もつける 
 
■描画
モデル、静物または外の風景を4時間で描き、色を付ける(油絵らしくなる)
 
 最初の頃は、クロッキーでも10分で描き切れず、中途半端な状態が続きました。
 先生が、時々アドバイスをくれるのですが、旨くいきませんでした。
特に、モデルが真正面の時は描き辛かった。女性の身体の線て、正面は難しいものです(凹凸が無い事と、正面ですと丸見えで)裏入学という事と、先生の奥様が何かと親切にしてくれましたので、他の生徒からは変な目で見られていましたが、2ケ月ぐらい通った頃から、友人が出来ました。1才上の男性と2才下の女性2名でした。
 この4人で授業が終わった後、コーヒー店やパブで、よく飲みながら遅くまで話し込んだりして、楽しい日々でした。仕事を離れた仲間とは、こんな良いものかと思いました。
 ちょうどその頃、私は家から離れて、ぼろアパートに住んでいましたので、溜まり場のようになり、私が帰っていないのにみんなが、勝手に入り込んでいた事が度々あったりして、夜遅くまで騒いでアパートの他の住民から白い目で見られていました。
 こうした仲間たちと、休みの日には「写生旅行」と称して、本当に写生したり、少しも描かずと遊び回って1年が経過しました。私の腕も、少しは上達してきましたので、描く事が楽しい時期でした。
 とある日、教室でクロッキーの時間でしたが、モデルが新しい人に変わり、事件が発生しました。
 
その3 ▲page top
事件とは?
 
 変わった新人モデルは20才ぐらいのピチピチした(絵のモデルさんは、どうしても少しポッチャリ型です…身体の線が柔らかい)子でしたが、大体3ケ月ぐらいで交替しますので、あまり気に止めず鉛筆を走らせていたのですが、私の仲間の女性2人が、ボソボソと話してました。
 
「あの子って、……ちゃんじゃない?」
「やはりそう思う、私もさっきからどこかで見た子だなと考えていたの」
「そうよ、間違いなく……ちゃんよ」 と話していた。
 
 私が「なんだ、知っている子か?」と聞きながらも、依然として鉛筆を走らせていたのですが、突然鉛筆の手が止まりました。何故手が止まったのか?私は、この時点で腕が上達したんだなーと実感しました。
 もちろん、モデルさんはプロですし、ポーズに変化はありません。しかし私の鉛筆が(手)動かないのです。いや描けないのです。
 モデルさんに変化が現れたのです(ポーズには変化なし) それは、彼女の内面が変わったのです。では、どう変わったのか?
 彼女(モデルさん)は裸体という事もありますが、羞恥心からくる色気がただよってくるのです(私はそう感じた) つまり、線(身体)が崩れてきたのです。
 その時、先生が「ストップ、……さん(モデルさんの名前)どうしたのか?何があったのだ?」と叫びました。
彼女はガウンをはおりモジモジしながら、先生に何かを告げていました。
その理由とは? やはり私の仲間の女性たちの声が彼女の聞こえ、生徒の中に、私(モデルさん)を知っている人がいる事でした。
 当然です。仕事とはいえ裸体を衆目に晒している訳であり、その中に知っている人がいれば、恥ずかしい事です。先生は、彼女と私の仲間の女性たちとを呼んで、「控え室で暫く雑談でもしてこい」と言いました。5分ぐらいして、彼女たち3人は出てきましたが、モデルさんは中断したポーズを堂々と仕切直しました。そこには、先ほどの色気なんて微塵も感じさせないものでした。
 ポーズも変わらないのに、身体の線の微妙な変化が鉛筆の手を止めさした、私の感性に驚きと自信が交錯した小さな事件でした。
 
その4 ▲page top
 その後の私の絵画教室における生活は、楽しい日々でした。例の仲間とは、男女2人づつという事で必然的にペアリングが出来つつあり、岩さんとS美、私とM子となってきました。
 この4人とは、ドライブや写生旅行に、夜を徹してのダベリング(私の狭い部屋で)、時には岩さんが中電勤務で、中電の施設(日進に凄いグラウンド他色々な施設がある)でテニスに興じたり、保養所を利用したりして楽しい日々でした。絵の方は、自分自身で言うのもなんですが、一応先生からも時々ほめられるような作品が増えてきました。
 習いだして、2年半ぐらいした夏に、中日文化センターの絵画教室合同(月〜日曜日すべて先生が違う)で2泊3日の写生旅行が企画され、もちろん我々も参加する事にしました。
 行き先は、たしか長野(岐阜だったかな?)の渋温泉でした。参加人員は先生7人と生徒が70人ぐらいだった。1日目は午後着という事で、宿の近くで思い思いにスケッチをし、夕方には温泉にはいり、夕食となりました。この夕食までは、問題は無かったのですが、夕食後にホールに集まり懇親会があるとの事でしたので、20時頃全員がホールに集合しました。
 しかし、この懇親会でまたまた事件発生となりましたが、この続きは後日。
 
その5 ▲page top
2泊3日の写生旅行における事件とは?
 
 懇親会のために、先生及び生徒(生徒といっても私たちが一番若く、中年とまで行かないけど、私たちから見れば、年の離れたお兄さんやお姉さん といった年齢層から、本当の中年のおじさん、おばさんたちが生徒です)食事にある程度のアルコールが入っており、懇親会でも飲みだし30分もしないうちに、懇親会が混乱会に変貌してきました。
 家庭を離れての開放感からか、いわゆる乱痴気パーテイーの状態になってきたのです。それに輪をかけて、先生たちが完全に酔っぱらった状態で、女性の生徒とダンスを始めたのですが、ダンスというより、生徒に抱きついた状態で身体を触れまくっており、生徒も生徒で、その気になっちゃってる様子で、それを見ていた他の男女の生徒も刺激をされてか、次々と踊りだし(抱きつき合い)、もつれ合っている状態です。
 ただし、私たちの先生は、その中には入らず(もう年もめされていた)途中で退出されました。私たち4人は部屋の隅のテーブルで、この様子を興味津々に冷静に眺めていました(嘘ではありません)しかし、ホールの連中はエスカレートしていくばかりで、見ているにが耐えられない状況になり(この場面は文字で表現不可能)モザイク状況であった事のみお伝えしておきます。(私たちは、この辺りで退散しました)
 しかし、翌日には皆さん全員が何も無かったような顔で朝食を食べていました。さすがは大人の集まりです(仮面野郎めが!)先頭を切った諸先生がたは、今でも現役で、「光風会」「新制作会」「二科会」「二紀会」等の絵画グループにおいては、この地区の長老であり、中には今も「中日文化センター」で先生をされている方もおられます。
 
 次号の続編6は、私の先生について書きます。
 
その6 ▲page top
絵画教室生活は、私にとって実に楽しい期間でした。
 
 私の絵の実力も、自分でいうのも変ですが、ずいぶんと上がってきておりました。描くのが楽しくて部屋で徹夜で描く日もありました。仲間とも順調であり、M子とも順風満帆という感じでしたし、最終的にはオイラはこの子と結婚するんだろうなー!と思ってました。
 
 しかし、人生って判りません。
 
 ある年の暮れ(古い時代ですね!)に、私は突然転勤となりました。それも九州は大分でした。元々、大分製鉄所建設が始まる…という事で、名古屋から誰か行くんだろうな、行くならオイラも行きたいね…なんて冗談でみんなと話していたのが現実となったのです。現実となった以上、サラリーマンとしては、行かざるを得ないし、上司にいつ行くんですか?と聞いたら、上司は言いづらそうに言いました。
 「明日の夜発ってくれ」とぬかすんです(昔の会社の転勤なんてこんなものでしたよ!)どうしたらいいんでしょう?
 最初は出張だと言われたのですが、出張=転勤は当たり前でしたし、いずれにしても、行く以上は転勤覚悟ですから、名古屋の事(諸々)を整理しておかなくちゃーと思うんですが、その時間もありません。
 取り敢えず、親とM子のみに言い、翌日の夜行(飛行機のチケットが取れず)にて旅発ちました。
 
その7 ▲page top
 大分への転勤と大分での私生活編は、後日投稿するとし、絵画教室の先生との関わりを述べます。
 最初に書きましたが、先生(高橋道雄)は「光風会」に所属されており、当時に既に一目置かれたレベルだったようです。皆さん、当社の事務所に一時飾ってあった、黄色をベースに馬が描かれていた絵を思い出しませんか?あれが、先生の作品です。大分から戻って、名古屋支店に在勤しましたが、絵画教室の方は再入校しませんでした(色々あって)。
 
 暫くして、会社の支店長が「応接室ぐらいには絵が欲しいね!」と云われたのですが、金を出す様子でも無いので、私は男気を出して先生のところへ行き「先生、絵を売って下さい」と頼みました。
 
先生 : 「いくらの予算だ?」
私 : 「5万円です」
先生 : 「おい!俺の絵は号いくらだと思ってんだ?、いくらなんでもなめちゃいかんよ!」
私 : 「だってオイラが出せる予算は5万円しか無いもん」
先生 : 「バカもん!とっとと消えろ!」
 
というようなヤリトリをしていたら、奥様が
「折角だから、売ってあげなさいよ!金額じゃないでしょ」
と、助け舟をだしてくれました。
 
先生も
「仕方がない、好きな物を持っていけ!」
「俺の絵を5万円で買いにくる奴が居るなんて信じられない!」
「額縁はダメだぞ」 と云いながら帰られました。
 私は奥様と一緒に、カンバスを探し、あの絵を買いました。額縁は支店長に云い、会社で購入しました。
 その後、三井ビルに移転し、応接室に飾ってあったんですが、私がNBSに来ましたら、なぜか事務所にあるではありませんか。しばらくして、事務所拡張等があって、邪魔になりましたので、私の自宅へ持って帰りました(ようやく古巣に戻った訳です)現在は、私の自宅の玄関に飾っております。
 この絵を購入して、1年も経たない内に、残念ながら先生は亡くなられました。合掌しながら、先生の絵は高くなるだろうか?なんて不謹慎な想いをした事を今更ながら悔いております。
 
(Ps)
先日、美術年鑑を買い、先生の作品の市場価額を調べましたら、なんと・なんと 号50万円の評価でした。家に飾ってあるのが12号ですから…(計算中)ウシッシッシって感じですなあ。(改めて お礼の合掌!を)
 
その8 ▲page top
久しぶりに目の保養をしてきました
 
 土曜日(18日)に墓参りに行き(お彼岸中に行くと車の駐車も出来ないので早めに行くのですが、トップに行くと草取り等の作業をする羽目になる)
 その帰りに、東京の大手画廊所蔵の作品の「展示即売会」を覗いてきました。しかし、展示作品の値段を見てビックリしてきました。
 
作者 値段
平山 郁夫 6 ¥50,000,000
東山 魁夷 6 ¥40,000,000
杉山  寧 4 ¥20,000,000
奥村 土牛 6 ¥30,000,000
 
 その他、高額な作品ばかりで、版画やリトグラフでも50万円〜1百万円レベルでした。最近、テレビによく出る銅版画の 山本 容子 の葉書大の作品でも15万円でした。焼物も、備前焼の 藤原 雄 の作品(花器)で3百万円 清水 六衛 の茶碗は 2百万円等とても手が出るような代物でありませんでした。でも、家を買うより高い作品を見る事が出来たのは、とても目の保養になりました。
 その後、大須へ行き(趣味が違いますので、アメ横には行きません)大須観音境内での骨董市をヤジ馬で覗いてきました(8の日に市がたちます)。
 骨董価値が判らないので手は出しませんでしたが、ある客が他の店で買った「蓄音機」で次の店で、SPレコードを買い、その店で蓄音機で視聴しようとしたが音が出ず、客は蓄音機を買った店のオヤジと、もめてました(こういう光景を見るのも楽しみの一つです)。
 私も一目見て、良いなと思った花器があり、値段交渉に入りましたが、最初の言い値が2万円でしたが、7千円まで下げてきたので止めた(下がりすぎるのも危ない)女房は2〜3点買い込んでいた。
 骨董市を後にして、いつも行く喫茶店「シルクロード」へ寄り、好みのカップでコーヒーを飲みその店に展示してある、陶器を3点購入しました(この店は、大須にしては、静かで落ち着いた店で、コーヒーも1杯づつ豆を挽いてくれますので美味しい事と、カップが良い、加えて店内に陶器や飾り物を置いており、女房のお気に入りの店です)。
 
 一度だけですが、3百万円するマイセンのカップで飲まして頂きましたが、両手で持って飲んだような記憶があります。是非、一度寄って下さい(店員さんも美しい娘ですよ)

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